花暦 あるいは 随想

2008年9月24日 (水)

コカ・コーラ 哀歌

多くの年月を見送り、多くの季節が過ぎ去りました。

懐かしい物たち、懐かしい時代、を語り始めますと、

まるで「日本昔ばなし」の語り部のように、過去の時代へと舞い戻ります。

「懐かしむ」こととは、今はもうないもの、少数になったものを想うこと、と、

どなたかが仰ってましたですね。ひたすらひたすら過去へ向かうことと。

「憶えている」とは、過去があったから今があり、

さらには憶えていたことにより、未来を想像する。

過去と現在のはざ間から未来へ繰り出してゆくこと、とも。

Photoレトロな木製冷蔵庫を見つけ、

ひたすら「懐かしんだ」のは、8月のこと。

60年代前半ごろまでは、確か使用されておりましたですね。

庫内は二段になっていて、

上段には一貫(3.75キロ)の氷を2個分、置きますのね。

氷の冷気により下段に入れたものを冷やします。

彼の店には、町中で大繁盛の氷屋さんが、

いつでも自転車の荷台に氷を載せ、届けてくださった。

木製冷蔵庫はわたくしにとってのノスタルジア、

あの季節も彼も二度と帰ってはこない。

Photo_3丘の上の環境資源ギャラリー、

わたくしの町の廃棄物処理施設です。

環境問題を身近なこととして、より考えさせられる 昨今ですが、

大切な務を果たすべく、平成17年から操業が開始されました。

家庭の粗大ゴミも車で搬入するわけですが、

リサイクルされるもの、可燃のものとありますですね。

入り口の計量器の上に、車ごと乗り車ごとの重さを知らせること、

その計算から出口に向かった際には、処理料金が請求されます。

Photo_4 学習施設も併設されてますから、

常設展示、企画展示などがあり、

わたくしも自慢の健脚を証明してやろうと、自転車発電に挑みましたが、

発電しないままなのに脚が疲れ、失敗しました。

Photo_5 Photo_6

木製冷蔵庫は此の施設で眺めましたのね。

昭和36年からは貿易自由化により市販が開始された、コカ・コーラ、

わたくしが生まれて初めて飲んでみたのは、それから何年も後のこと、

彼の喫茶店でした。

木製冷蔵庫に詰めてある一本の瓶を取り出した彼が

冷えたコーラを栓抜きで開けプシュっと快音を聞かせて 「飲む?」

はにかんでいた自分ですから味もなにも覚えてませんのね。

ただ、確かにあの時代のコーラはスカッとしていた。爽やかだった。

甘味料が幾度となく変わったとのことですが、詳しくは解りません。

いずれにしても遠く過ぎた日のこと、懐かしさなのです。

彼はすでに彼岸の人、

こちらの岸辺から彼を恋しがるわたくしは、残された人、

此岸なる迷いの世界を、吐息まじりで生きておりますわ。

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2008年9月11日 (木)

夏とは違うんです

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暮れ時の夕顔、

夏の花が咲いてます。

晩夏なのか、初秋なのか、季節のあやふやさ、

ただ言えることは、今の風は夏とは違うんです。

なにかガ違うこと、ありますわね。

「あなたと違う私、私と違うあなた」

「あなたはあなたで、私は私」

そりゃそうです。人はそれぞれですもの。

どなたから見ても常にごもっともと認められる立場で、

物事を考え、言葉を濁さないこと、とかは…

たやすく出来そうでいて、それは難しいことなのかも知れません。

たとえば自分の意識が、

自分勝手なだけの、偏りをしていないか、

気ままな思いつきだけの言動になってはいまいかl、

つまり主観的すぎていないか…

…そんなこと考えてますと、

弱音を吐きながら生きてるヒマなど、私にあるもんか!と、

主観も客観も、なんだかあやふやになってきますのね。

格差社会を生きるため、めげずに明日に向かいますわ…としか、

云いようがない。居直ってしまう。

結構、客観的な思考だとは思いますが、なんだかね。

Photo_7 わたくしが暮らす町の川縁は、

夏の訪れと共に咲き始めていた芙蓉が、今、花ざかりです。

日傘で日除けをしながら歩いていても、

日傘の中を渡る風は真夏の風とは違い、さらりとした肌触り。

Photo_2 貸出し期限が過ぎてしまった返却本を、

慌てて返しに行った今日、

図書館では、休憩室の中に無料ドリンクの日本茶が用意されてます。

珈琲とか他の飲料がほしい場合、自動販売機もありますのよ。

休憩室で急いだ足を休めているうちに、

熱い珈琲が飲みたくなりなりました。熱いお茶もいただこう。

「今はもう秋」と言ってしまおうか…

夏の日とは違い、館内はもの静かな午後でした。

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2008年7月29日 (火)

或る夏の日のこと

Photo_2 夏の日、

天竜川沿いを北上し、道の駅「花桃の里」に寄りました。

天竜川水系、船明ダムの岸辺にある木造建物の庭には、

インパチェンスの花が置かれてます。この花は開花期間が長く、

よく見かける花ですわね。初夏から秋までを咲き続け、

可憐な花なのに強さがあります。

Photo_5 先を急ぐ身、せっかくの地元特産物も買わずじまい。

国道をさらに北上すれば、

日本国内において年間最高気温を記録することのある、

佐久間の町があります。大きなダムのある地区です。

Photo_3 佐久間ダムよりは下流でありますが、

秋葉ダムも見えて来ました。

此の場所も、車がひた走りしてきた道のりも、

2007年に政令都市へと移行した浜松市の北遠地域です。

Photo_4

広大な山河を突き進む車窓から眺めやれば、

急流を巨大なエネルギーに変える、ダムのすごさとか、

山里とか、里山とか、日々の営みを思うにつけても、

胸に迫り来るものがあります。

「どうかしたの?」と聞かれるほど、

車中の人たちとの会話も途切れがちとなりました。

若いころはこんな思いはしなかった。醒めていた。

多分、人生の先が長いことを信じていたのでしょうね。

どうなることかわかりはしなかったのに。

歳を重ねてきますと、いつの間にか、

森羅万象のすべてが愛しくなりますのよ。

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2008年7月19日 (土)

睡蓮

Photo 盂蘭盆も過ぎました。

月おくれのお盆より一足お先に、

ご先祖をお迎えしましたですね。そして見送り、また日常となりました。

今年の4月は従姉妹との別れがあり、享年82歳でした。

昭和元年の生まれでしたから、

第二次世界大戦が終えた昭和20年は、20歳の夏でしたね。

Photo_4 お通夜の席で娘さんが聞かせてくださいましたが、

「知覧に行くまでは死んでも死にきれない」と、

いとこは晩年になり突然つぶやいたそうです。

鹿児島薩摩半島の知覧は、特攻基地でありました。

敗戦へと突き進む日本でしたのに、

お国のためと、

特攻隊の、若い命、尊い命が、海原に散ってゆきました。

覚悟、決断をした若者たちでした。

あってはならない戦争の哀しい傷跡です。

同世代であった従姉妹は御魂の前で、祈りたかったのでしょうね。

安らかな眠りでありますようにと。

知覧まで娘さんと旅をし、そして従姉妹は生涯を全うされました。

今年は初盆でしたわ。

Photo_3 睡蓮が咲きます。水の上に。

水生植物は多種類ありますのに、

睡蓮とか蓮の花とかを見ますと、祈りたくなる。

睡蓮の花の前で、見えないものに向かいただ祈ります。

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2008年7月 6日 (日)

半化粧

明日は七夕、彦星と織姫の逢瀬は叶いますのか?

たとえ雨のため天の川の水かさが増そうとも、かささぎの群れの架け橋で、

一夜、織姫は彦星のもとへと、駆け寄ることが出来るはず…

毎年、わたくしなりの願いと祈りを込めますのね。天空のお二人のこと。

七夕伝説が満々の明日は、

暦での24節気、

「じわじわと暑さがやってくるぞー いよいよ夏だぞー」

と教えてくれる、小暑、でもあります。

どうりでここ数日は暑くなりました。

だしぬけに暑くなったみたいでうろたえましたが、季節はすみやかに進みます。

Photo

親しい方のお庭には、

半化粧  半夏生  さらに別名 片白草 と呼ばれる

ドクダミ科のお花が咲き、葉が白くなるから、妙に怪しい。

「怪しいわね」と言ったら、

「白塗りの人みたいで妖しいんじゃない?」と、切りかえされました。

いずれにおはする神さまが誕生させたものか、草花の醍醐味です。

葉表は白くなるのに葉裏はみどり色そのままなんですよ。

わたくしも白粉は使用しますが、ここまで白くはさせない… させてないと思う。

虫媒花ですから、虫を誘いたくて白くなるのでは?と、言われてるようです。

花期の終わりには再びもとの緑色に戻るとか。

よそのお庭なのに、その変化を今夏は見守ってみますわね。

Photo ハーゲンダッツ グリーンティー・アイスクリームを、

今から頂きます。

ご近所さんが「どうぞ召し上がれ」と届けてくださいました。

若草色して見るからに涼しそう。

蒸し暑さにへこたれないで、涼しいおやつの時間です。

おまけに普段に食す氷アイスとは違って、高級感があります!もの~!!

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2008年7月 2日 (水)

百日草

Photo 百日も咲くから 花の名前は 百日草

遠い昔のこと 

おままごとをしていた庭先で 

百まで数えることを教えてくれた花

3歳だったのか 4歳だったのか 百年前のことだったのか

幼心は たった百日を永遠化してしまい 

なにを考えるでもなく ひたすら百まで数えっこしていた 雨上がりの童顔

 

百日草を見かけると

百年前の 幼馴染に出会ったみたいな気分

百歳には到達してない私が

さながら 百年以上も生きてきたかのように

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2008年6月15日 (日)

赤い花

                    Photo

いつだってわたしは泣きたかったんだ

そう言った 女性がいた

涙がこぼれないまま たまっている日にかぎって

赤い孔雀サボテンが咲き 空は青い

泣きたいこと 忘れてしまいそうなぐらい

 

涙目で笑ってみせた人がいた かなたの追憶

その人の涙をぬぐい去るような

赤い花が 今年も咲いた

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2008年6月13日 (金)

楚々と 花々

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庭の紫陽花一輪

ほんのりと夢色

なぜ夢色なの?

夢色紫陽花とラッピングされた鉢植えをいただいたのが、 一昨年、 

夢色を失くしてなるものかと、

その紫陽花を庭に植え替えました。 なのに昨年は花を見ることなく、

そして 今年は悲願の一輪が咲きました。控え目な一輪が。

土壌を少しだけアルカリにしたから、夢色のまま咲いてくれました。

今は花木も花も両手に包み込めるほど小柄です。

でも咲いてくれました。夢色に…

Photo_2 町のオアシスには山吹が咲いてます。

この道を右折すれば図書館が見え、

この道を真っ直ぐ進めば美術館があります。

七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき

山吹の伝説が鮮やかに浮かびます。

室町時代のこと、武将太田道灌が鷹狩りの折、にわか雨にあい、

つつましい民家の軒先で蓑を借りたいと告げたところ、

娘さんが現れ、山吹の花咲く一枝をそそっと差し出したそうですわね。

実の… と 蓑… との掛詞、

貧しい家とて蓑ひとつもありません…

後拾遺和歌集に詠まれた古歌一首とともに、今も語り継がれる物語。

わたくしが暮らすこの町の城には

江戸時代 中期のころからは、

太田道灌の子孫が藩主として居城し続けました。

江戸時代がひたひたと終焉に向かい、そして明治維新になるまで。

そうした時代の流れを思い、小道に佇みますと、

山吹の花影を、花の一枝を手にした娘さんが、

ふと通り過ぎたような幻想に捉えられ、、

花を眺めるひと時は、楚々と過ぎてゆきますのね。

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2008年6月 3日 (火)

貴女の歩く道野辺にも

庭の、野萱草が咲きはじめました。のかんぞうですよ。

またの名をわすれ草とも呼ばれます。

萱の字は、忘れること、その意味があるそうです。

一日花なのですよ。今日咲いた花は今日の夕には萎れますが、

翌朝にはすぐさま次の蕾が咲いてくれますのね。

空にどんよりと、厚い雲がかかろうとも、

のかんぞうの咲く庭は明るい色合いとなり、、良い眺めでしたのに。

P53000026月2日のきのうは、とうとう梅雨入りをしてしまいました。

雨に打たれながらも咲いている野萱草を、けなげに思えてしまうのは、

眺めている側の、心の憂さなのかも知れません。

野の花ですから、もともとが風雨にたじろがない強さがあるのでしょうね。

野萱草は憂いを忘れさせてくれそうです。

貴女の歩く道野辺にも咲いてますでしょ。

 そう、ずっと夏まで咲いておりますよ~

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